愛媛|歴史|歴史でみる愛媛県

歴史でみる愛媛県

四国北西部に位置し、古代から伊予の国として栄えた愛媛県。日本最古の歴史書である古事記に「伊予国は愛比売(えひめ)と謂ひ」と記されていることが現在の県名の由来になっており、聖徳太子を始め、多くの天皇が行幸の際に伊予(道後)の湯で体を休めたとも文献に記されています。

中世に入り戦乱の世に入ると、瀬戸内海を拠点にした武装集団の水軍(海賊衆)が強大な勢力を築き、後に日本最大規模の水軍として日本史にその名をとどろかせました。現在でも瀬戸内海沿岸部を中心に多くの遺構群が残されており、往時の様子を偲ぶことができます。

近代になると、正岡子規を始めとした多くの文化人が産声を上げ、俳句と短歌などの日本の近代文学に新風を吹き込みました。また、愛媛県は空海ゆかりの四国八十八ヶ所のルーツとなる地でもあるなど、日本史を彩る歴史を豊富に持ち合わせています。

史実に記された天下の古湯

愛媛県は古くから伊予国と呼ばれ、その名の由来の一つに「いよ」の「よ」は温泉の「湯(ゆ)」が転じたもので、それに発語となる「い」に「いい」という意味を持たせ、「いい湯」が「いよ」になったという説があるなど、古くから温泉とは深い縁を持っています。実際に、日本三古湯の一つであり、三千年の歴史を持つとされている道後温泉を始め、県内の各所では効能豊かな温泉が現在でも潤沢に湧き出しています。また、歴史的にみても聖徳太子を始め、舒明天皇や斉明天皇など、多くの天皇が行幸の際に伊予の湯で体を休めたと文献に記されており、名実ともに日本有数の温泉地として愛媛県に多くの人が訪れています。

歴史を現代に伝える「現存十二天守」

江戸時代の愛媛県は、伊予八藩と呼ばれたように伊予松山藩、宇和島藩、大洲藩、今治藩、西条藩、伊予吉田藩、小松藩、新谷藩の主に8つの藩が分割されていました。江戸時代には全国に170ヶ所あったとされる城ですが、江戸時代末期から明治にかけての戦乱や、明治政府による廃城令、天災や第二次世界大戦での戦災により数多くの城郭が失われ、現在では江戸時代以前に建造された天守が残っているのは全国でわずか12城しかありません。伊予松山藩の松山城と宇和島藩の宇和島城は、共に「現存十二天守」に数えられており、全国的に2つの現存十二天守の城があるのは愛媛県のみとなっています。

愛媛県の「歴史」を知るならこんな観光スポットがおすすめ!

温かな光が降り注ぐ1階は、展示物コーナーやパソコン教室など文化の発信拠点として様々なイベントが開かれている。

大瀬の米蔵

交流の場に生まれ変わった米蔵

住職自らが四国八十八ヵ所霊場に出向き、その際に集めた砂を中心に配置し、周りに八十八ヵ所全ての本尊を安置している砂踏み道場。

真福寺

小さな島のパワースポット

山頂には一部石垣が残り、はるか昔のこの場所に建物が存在していたことを確かなものにしている。

河後森城跡

要害の地にそびえた県下最大級の中世山城跡

標高750mの深い山中に今も残る様は、まるで「空中都市・マチュピチュ」。

マイントピア別子「東平ゾーン」

『東洋のマチュピチュ』

禎祥寺の入り口付近から、境内の奥まで藤が開花しており圧巻。

禎祥寺

辺り一面を覆い尽くす、花房の見事な美しさ

芋を抱いた格好をしている地蔵は、大三島の人々が下見吉十郎の功績を後世に伝えるため造ったものと言われている。

甘藷地蔵

地蔵となった男とさつまいもを巡る伝説

もっと探す

このページのトップへ