偉大な俳人17人の足跡

[写真提供/中村弓子さん][写真提供/中村弓子さん]

時代を見つめた人間味ある作風
「降る雪や明治は遠くなりにけり」

中村草田男

なかむらくさたお

草田男の代名詞ともいえる「降る雪や~」の句は、子どもの頃に1年間だけ通った東京青山の小学校を東大生時代に訪ねた時、降り始めた雪の中で浮かんだという。わずか1年の在学という事実が、外交官であった父に従って転校を繰り返した少年期を象徴する。そうした環境が感受性の強い性格を育んだのか、中学時代から神経衰弱に悩まされた。

若い才能がきらめいていた松山中学の回覧同人誌「楽天」のメンバーとなった草田男は、病気で休学中に「楽天」の先輩伊丹万作(池内義豊)と邂逅、魂の交流は彼の死まで続いた。「絶対値だけを永久に友人の中に信じる」と断言する伊丹の存在が、草田男をどれほど支えたことか。

「草田男」という号は、父親の急逝後も神経衰弱で東大を休学する草田男に業を煮やした親戚が、「お前は腐った男」と面罵(めんば)したことに由来する。無垢な魂がもたらす激しい精神的葛藤に苦しむ草田男が、そこから「逃避行」するために探り当てたのが俳句であり、昭和3年、27歳で本格的に句作を始め、虚子に師事した。

32歳で大学を卒業し教壇に立ったが、金銭問題で騙されるなど世事には疎かった。そうした夫を支えたのは、敬虔なクリスチャンでピアニストの妻直子である。世俗を嫌う純粋なまなざしを社会や人間の内面に目を向ける作風で「難解派」「人間探求派」と呼ばれる一方、「萬緑の中や吾子の齒生え初むる」など、みずみずしい感性があふれる句を残した。

【略歴】

本名・清一郎。明治34年(1901)、外交官の父が領事をしていた清国廈門(アモイ)にて長男として誕生。3歳で帰国後は松山、東京と転居を繰り返すが、11歳から松山で暮らし、松山中学、松山高校へ。中学時代、伊丹万作、伊藤大輔らの回覧同人誌「楽天」に参加。東京帝大文学部独逸文学科を休学中に本格的に句作を始め、虚子に師事。昭和21年、主宰誌『萬緑』創刊。36年に俳人協会創立、会長に就任。成蹊大学名誉教授。58年8月、急性肺炎にて82歳で死去。同年11月、道後鷺谷の墓地に分骨された。

【ゆかりの地】

松山高等学校碑

松山高等学校碑

松山市持田町の愛媛大学教育学部附属中学校内にある。昭和44年、創立50年を記念して松山高等学校同窓会が建立。「青春、友情、希望──ここに存在せし一切のものの不滅を信ず」の文案は草田男によるもの。(松山市持田町1丁目5-22)

草田男墓地

草田男墓地(道後鷺谷墓地)

草田男の墓は東京都あきる野市の五日市カトリック霊園にあるが、松山市の市営墓地である道後鷺谷(さきだに)墓地にも分骨されている。ここには『坂の上の雲』の主人公のひとり、秋山好古の墓もある。

愛媛にある中村草田男の主な句碑一覧を見る

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