外国船侵入に備えた幕末の置き土産
幕末の蘭学者・高野長英の設計により宇和島藩が築いた砲台跡地。幕府批判の罪に問われ、その後脱獄して宇和島藩にかくまわれていた長英が藩主の命により、外国船の上陸拠点とならないよう宇和島藩の南の防衛の要として築いたとされている。当時の最高技術を結集したもので、現在では石垣のみが残る跡地からは湾全体が見渡せ、防衛上の重要拠点であったことを認識させられる。また、砲台の関連施設の石塁も海岸沿いに残され、今なお海からの侵入をはばむ雰囲気をただよわせている。