【愛媛県松山市】市民の生活の足にして海の公道・三津の渡し


2024.10.15

三津の渡し

三津の渡しは、松山市の三津浜地区と港山地区を結ぶ市営の渡船です。その距離約80m、時間にして1分ほどで対岸に到着するのですが、実はここ、航路ではなく道路なんです!

古くから地元で利用されてきた交通網であることから、明治時代にはこの航路は町道として管理され、その後昭和になって三津浜町が松山市に吸収合併された際、町道を市道とした結果、三津の渡しは”松山市道高浜2号の一部”となり、海上を走る道路となりました。

壁画

また三津の渡しの歴史は古く、1467年(応仁の乱があった年です!)河野通春が築いた港山城城兵の食料を、対岸の三津から舟で運ばせたのがその始まりとされているそうです。それから550年以上の歴史を経てなお、生活の足として地元住民に愛されているというのは…いやはや、ロマンを感じますよね。街のいたるところに壁画が描かれていることからも、いかに渡しが愛されているのかが分かりますね。

おまけ・港山城跡

ちなみにですが、三津浜側から乗船し渡った先にある港山城跡には、4分ほどの登山で到着することができ、ここからの景色はもう圧巻です!興居島・伊予小富士をバックに、何隻ものフェリーが往来する様子を眺めることができますよ。

どうすれば乗れるの?

さて三津の渡しの運行時間は7~19時で、時刻表などはありません。対岸に船がいてもボタンを押して呼べば、たとえ一人でも乗せてもらえます。定員は13人。自転車を乗せることだってできます。乗船料は大正時代は片道1銭(=0.01円)でしたが、今は無料です。1970(昭和45)年までは手漕ぎ船で運行されていましたが、同年エンジン付きの船となり、現在は「すさき丸」と「こぶかり丸」という2隻が就航しています。

港町・三津へ、ぜひ!

最後に、万葉集の額田王の歌をご紹介してお別れです。
「熟田津に船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」
この”熟田津”が三津(御津)であり、皇族が使う港であった可能性が高いという説もあるんだそうな。

時代が令和となった今、年間の利用者はなんと約36,000人(三津浜花火大会のときは大忙し)!このうち約20%が観光客なんだそうです。どこか牧歌的な港町の風情を堪能できる三津へ、ぜひ!
記事投稿者:かず

記事投稿者:かず

ひめ旅部のかずです。生まれも育ちも愛媛県は伊予市。「伊予の本気」をお届けできるよう県内各地に出没中です。ひめ旅部の記事をきっかけに、カメラを持ってお出かけしていただけると嬉しいです!きっと、あなたの知らない愛媛が待っている?!